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哲学者市井三郎について




市井三郎(1922-1989)

(c)iwanami shoten

市井三郎(いちい さぶろう)


1922 年   大阪に生まれる

1945 年   大阪大学理学部卒業後
        思想の科学研究会に入り哲学へ転進

1951年-  ブリティッシュ・カウンシル・スカラーの奨学金を受け2年間マンチェスター大学、ロンドン大学両大学院にて哲学を学ぶ。ロンドン大学ではカール・ポパー教授に師事する。

1954年   愛知教育大学(現在の愛知教育大学)助教授
        「思想の科学」の編集、執筆を続ける

1961年   成蹊大学教授

1976年   プリンストン大学特別客員教授

1978年   東京大学大学院講師
       NHK大学講座「近世革新思想の系譜」

1988年   成蹊大学定年退職、成蹊大学名誉教授
1989年   死去

著書    「哲学的分析」(岩波書店)
       「明治維新の哲学」(講談社)
       「思想からみた明治維新」(改題2004年)
       「歴史の進歩とはなにか」(岩波書店)
       「歴史を創るもの」(第三文明社)
       ほか多数 

訳書    「ガロアの生涯」L.インフェルト(日本評論社)
       「西洋哲学史」(3巻)
       バートランド・ラッセル(みすず書房)
       ほか多数  
   
市井三郎の著書について詳しくはこちら



歴史の進歩とはなにか & キーパースン

市井三郎の歴史哲学において『歴史の進歩とはなにか』を問う時、倫理的進歩は切り離す ことのできないものだった。したがって「科学・技術の進歩それ自体は、けっしてそれ だけで歴史の進歩とはいえません。科学・技術の進歩がもたらしうる苦痛が減らされてこ そ、人間の歴史は進歩したといえるのです。」(「思想からみた明治維新」p34)そして 「おのおのの人間(ホモ・サピエンス)は、みずからの責任を問われる必要のないことか らさまざまな苦痛― 略して“不条理な苦痛”と呼ぶ ―を負わされているが、その種の 苦痛は減らさねばならない」(「歴史の進歩とはなにか」p196)という理念の提案をして いる。
 また、「不条理な苦痛を軽減するためには、みずから創造的苦痛をえらびとり、その苦痛 をわが身にひき受ける人間の存在が不可欠なのである。」(「歴史の進歩とはなにか」p148) と説いた。このような理念をになう人々を市井は“キーパースン”と呼んでいる。


“キーパースン”という言葉は市井の造語である。“キーパースン”を述べる ときに「“リーダー”という言葉を用いると、そこに「リード」される多数に対する少数者たる「 リーダー」あるいは「エリート」のなんらかの政治的支配があると考えられがちで、あえて 「キーパースン」という造語を用いたのは、その既成概念をさけるためだった。」(「哲学的分析」p33脚注)。

今では“キーパースン”という言葉は世の中でも広く使われるようになっているが、今一般に 使われている“キーパーソン”は有名人とか、グループの核になる人という意味で、市井の説 く“キーパースン”とはちょっと意味が異なっている。「当の「キー・パースン」なる ものは、小ピットやナポレオンのような、いわゆる「英雄」ばかりではなく、「成功した」蜂起などに おける集団行動を担う人々、あるいは政治史の舞台からは遠く離れた「縁の下」で、地味な工作に従事 する無名の人々、あるいは匿名の「殉教者」とも呼びうる人々、等々を含めた包括的概念である。」 (「歴史を創るもの」p36)。「最大の蓋然性をもつとされる当の予測を、くつがえすことになるよう な人間たちの活動が、つねにありうる・・・そして、そのような人間たちを、わたしは「キーパースン」 (つねに複数)と呼びたいのである。」((歴史を創るもの」p69)。

 このような“キーパースン”の一例として市井は「歴史を創るもの」の中で次の歴史事例をあげている。 「ナチス占領下にあって強制徴用されたポーランド市民の数名が、徴用先のナチ秘密工場からV一号の情 報を事前に探り、試験発射で不発のままへき村に落下した実物を、その村のポーランド農民大衆の協力の もとに英軍にまでひき渡した功績―これによって備えのできた英国は、ナチ側のV一、二号作戦による、 潰滅を免れたのだが、そうでなければ第二戦線の結成は極度に困難となり、大戦の帰すうはどうなったか さえ危ぶまれたという。この場合、当の数名のポーランド市民と当の農民大衆とが、いうまでもなく キー・パースンだったのである。」(p38)。

 市井は日本歴史を振り返りキーパースン論を深めていく中で、発想的キーパースンと、実践的キーパースン の二種類を想定している。そして山県大弐や吉田松陰などを発想的キーパースンとし、坂本竜馬などを実践的キーパースン の著例として論じている(「歴史を創るもの」)。

  市井の説く「歴史の進歩」を追求する姿勢がたどりつき得る世界のひとつは次に著されているのではないだろうか。 「現代の世界は、さまざまに異なった思想的・宗教的・人種的対立によって、いまなお分裂されている。人類の望 ましい平和共存が可能となるためには、この世界全体が、それぞれの伝統を保持しながら、価値的にプラスな多重 構造―いい意味の折衷―となることが必要なのではなかろうか。」(「近世革新思想の系譜」p210)。そうでなけ れば「自他の相対化への努力が否定され、いずれか(複数)の文化の絶対性が主張されつづけ、その果ての激突が 不可避となるであろうから。」(「近世革新思想の系譜」p210)。

(文:市井Blades 順子)

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