私たちは成蹊大学の名誉教授で哲学者である故市井三朗氏(1922-1989)のもとに自主的に学生有志が集まったゼミナールで、我々が成蹊大学に在学していた1980年初頭に勉強会や学園祭でのシンポジウムを開催する等の活動をおこなってきたグループです。卒業して20年になりますが、私たちは今だにお互い連絡を取り合い、仲間どうし親交をあたためております。 市井三朗先生はその特徴ある学風でありながら、工学部の教養課程の教授という冷遇ともいえる境遇にいたため学生が普通に単位が取れるゼミナールを開ける状況ではありませんでした。しかし「歴史の進歩とは何か」または「明治維新の哲学」等、とかく抽象的な観念論に終始しかちな他の哲学者と違い実に具体的でわかりやすい学風を示し私たち学生に大きなインパクトを与えました。私たち成蹊大学の有志はそのようなユニークな哲学者である教授が学内で公式なゼミを持っていないことに疑問を持ち、それならば自主的にそういうものを作ろうということで、1980年に市井自主ゼミナールをスタートさせました。 尚、市井先生は生前私たちについて朝日新聞に次のように寄稿しております。 当今の大学生はシラけているとか、ドライに計算高いとか、いろいろいわれているようだが、わたしの大学教師二十数年の経験で初めてのことがいま起こっている。 昨年度「哲学史」の通年講義をきいた学生のいく人かがやってきて、先生に自由に質疑応答のできる時間をつくってほしいという。質問したいことや感想集までをプリントにしてきて、いうのである。むろんわたしは快諾した。 週に一回、放課後に学生会館の一室で、すでに三回やったがまだ終わらない。十数人の学生が相手なのだが、その質問のなかには、「イギリスの清教徒革命を先生のキーパースン理論から説明するとどうなるのか」といったスゴイのがあって、こちらも相当の準備を要することになる。かと思えば、「安楽死をどう思いますか」といったカレンな質問もあって、簡単にこなせると思っていたらさにあらず。この数十人は、なかなかに知的好奇心と機知に富む連中であって、したたかに機微にふれた反問をしてくるのだ。安楽死について、僕なら自分が近き(たぶん)将来「恍惚の人」となれば、安楽死させてほしいと公証人を介してあらかじめ、証文をつくっておきたいくらいだ、などというと、相手はニヤニヤして、「恍惚」の時期がくれば案外、主観的には快適で、証文なんかくそくらえ、とはなりませんか、などという。とまれこの時間は、近ごろ教師冥利(みょうり)につきる楽しい時間となっている。 (1979年6月13日 『朝日新聞』夕刊 文化面コラム「日記から」) 文章データ化に市井順子さんに御願いしました。 市井先生の詳細な学風とその著書はそれを記述しているページをご覧になっていただくとして、私たちはこの 特色ある学風の市井三郎先生の功績、回想録、等で市井三郎という哲学者をもっと世に知っていただくことと我々成蹊大学の卒業生が社会人をやりながらも引き続き議論やお互いの旧交を暖め会う場所としてこのホームページをもうけました。このホームページを通して哲学者市井三郎氏について知っていただければ幸いです。 中央が私です。 |