市井三郎のラストスピーチ
『内発的発展論』と人類の未来への希望

1989年4月25日 鶴見和子著『内発的発展論』出版記念会にて


《司会》次に、『思想の科学』の時代から、あるいは『思想の冒険』、「水俣における調査」といっ しょにやっていました、市井三郎先生にスピーチをお願いします。

《市井》数年前に脳梗塞になりまして、座ったままで話させてもらいます。振り返ってみますと、私 は、自然科学者として出発した人間です。その人間を敗戦直後に創刊された雑誌『思想の科学』を通 じて、鶴見俊輔さん、鶴見和子さんというご姉弟との接触から、哲学者に大転換を遂げたわけです。 そういう知的刺激を与えて頂きました。私は、イギリスでも、敗戦直後わりと早い時期に、哲学を学 びに行きました。それから、ずっとくだって十数年前にプリンストン大学のEast Asian Studies Division で半年間、客員教授を務めたり しました。

先日、鶴見和子さんからお電話をいただいて、川田先生とご一緒に共同編集でお出しになった『内発 的発展論』という本の感想をという依頼を受けました。私は、大病の影響で今、目を悪くしていまし て、大きな眼鏡をかけて和子さんの論文だけは全部読ませて頂きました。あくまで、私は哲学者なの で、哲学的な見地から当然、感想が出てくるわけです。先ほど、共編者の川田さんがおっしゃったの と違って、『内発的発展論』という理論がどうしてなければならないかと言うことが、簡明に論理的 に述べてあると思います。さっきは、どなたからこの本の編集途中で、プリンストン・マフィアの影 響があったとかなかったとか、そういうお話が出ました。私自身、プリンストンに半年いまして、一 番感じましたのは、『内発的発展論』の対極ににある、正反対とも言える「アメリカ近代化論」、そ の牙城のひとつがプリンストンだということです。

マリオン・リィヴィー氏が、当時その学部長でした。今では古典的名著と呼ばれている” Modernizaition and Social Structures”という膨大な著書を私も読みました。
リィヴィーさんの下でPh.D.を取られた鶴見和子さんから、事前に本の概要を聞いていましたので、 より良く分かったのですが、それは、近代化という現象は、先進国から発展途上国へと、原理的に同 じ形で広がって行くと言うことが、社会学的必然性であるということを説いているに等しい論理なん ですね。

 私は、鶴見和子さんと一緒に竹内好さんから直接、中国語を四年間ほど学んだんです。それは、文 化大革命のころです。文化大革命当時の中国の毛沢東の考え方は、非常にマリオン・リィヴィーさん の近代化論と違っています。「近代化=西欧化」であるという結論が必然的に出てくるリィヴィー教 授の理論とは、全く違ったことをやろうとしたのが文化大革命だったわけですね。その大革命が、皆 さんご存じのようにあのように挫折して行きました。後に変わって出て来たのは、いわゆる「自由化 」です。

 ちょうど、ソ連においてもあのペレストロイカと呼ばれる自由化現象が今盛んに進行中です。おそ らくマリオン・リィヴィーさんは、「俺の説が世界中で進行しているんだ」という、「近代化=欧米 化」という勝利のうま酒に酔っておられるところがあるんじゃないかと思います。しかし、非欧米の 文明も、『内発的発展論』で述べられたように、欧米の文化伝統と歴史伝統と全く違った歴史と伝統 をもった国々も、より多く世界中に分布しています。そういう国々が、まさに内発的な自国の文明・ 伝統を創造的に改革して行く。伝統を生かして改革して行く努力の中にしか、人類の未来への希望を 見ることができない、というのが私の哲学者としての予想です。鶴見和子さんの論文の中には、私が なぜそのような予想を持つかということを示す、内発性がどのようにして出てくるのかという「キー パースン論」と名付けた説とか、未来へ向けてあるべき価値論とかが、論文の終わりのほうではっき り述べて下さっております。

 私は、鶴見さんより一年前に定年退職しました。その退職前に大病をしたものですから、最後の一 年間は杖をつきながら階段を上り下りして、講義はあくまで務めてから定年退職したわけです。  私は、さっきも川田先生が少しおっしゃいましたように、「東大出版会がこういうテーマで一体、 本を出してよいのか」という、そういうようなことを思うほど、今は西欧的自由を未来への価値に置 く本が多すぎます。あの本が本当に深く読まれ、版を続けるように心から祈っております。以上のよ うな事を言ったからと言って、私は個人的にはマリオン・リィヴィーさんに大変親切にしていただき ましたから、何ら個人的に恨みを持っている訳ではありません。(笑)

 彼は、いつも日本人の学者が来て講演した後に、「日本人の学者は、Grand Theoryというものを全 然出さない。小さい問題ばかりを論じている」と言って批判しました。私は、「Tradition and Innovation――伝統と革新」と いう大テーマで馬鹿でかい議論を行い、英文で書いた論文をリィヴィーさんに進呈しました。リィヴ ィーさんにむしろかわいがってもらったひとりです。だけれども、リィヴィーさんの批判に聞こえる ような言論もあるべきです。その理由は、和子さんの論文の中にはっきり述べられております。

 私は、退職した後に、病気の影響もあって、『偶然論』と言う本をもう一冊だけ書いて死のうと、 日夜考えているのですが、少しずつアイディアが出て来そうな気がします。それは、本当に今回私よ り一年遅れて定年退職される、私を四十年前に自然科学者から哲学者に転向させていただいた鶴見さ んの本から、強い刺激を受けたからです。

 私のような病気を全然持たずに、日夜体操をして、体を鍛えておられる鶴見和子さんのご健闘を、 知的ご健闘をお祈りしまして感想の一環とさせて頂きます。(拍手)
 
(文責 前田丈志)
 


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