私の市井三郎の回想
   
 
                                   大野 恭史(泰史)

 私が市井先生に始めて会ったのは大学一年の頃、実は私は自主ゼミの中の唯一の工学部生だったのだが、当時市井先生は工学部の教養課程で「論理学」と「哲学」の2つの授業を持っていた。まあ大学の一般教養課程 というのは、だいたい学生がみんな手を抜いている科目で出席すら取らない授業が多かった。しかし市井先生の場合は違った。本来なら手を抜くはすの教養課程の中で私は大学生活の中でいきなり最もインパクトのある教授に出くわしたのである。

  実は我々の大学ー成蹊大学の教授陣の大半はいわゆる東大の学閥出身で、そのせいか最初から学生を見下しているような教授が少なくなかった。私はそうした雰囲気に少なからず反発を感じていたのだが、市井先生は違った。まずいきなりぶっ飛んだのは「私はタバコを長時間吸わずにしゃべるのはできないので、タバコを吸いながらの講議を行うことにする。よって、君たちもタバコをすいながら授業を受けていい」といったこと。今だったら考えられないことだが、その結果講議室が実質的に喫煙室のようにタバコの煙が充満していったのはいうまでもない。まあタバコを吸いながらの授業の是非についてはともかく、そのことによってかなり肩の凝らない授業になったことは事実だろう。おかげでリラックスしながら授業を受けることができたし、質問も気軽にできたことを覚えている。そのオープンでな開放的な雰囲気は私にとって救いでもあった。

   さて、知らない方のために市井先生の学風を簡単に説明すると、まず「哲学」というとカントやハイデガーのように存在がどうなど、実在がうんたらかんたらと抽象的で「訳の分からないもの」というイメージを持っている方も多いだろう。しかし市井先生はイギリスのバートランドラッセルの研究で知られ、極めて具体的で、一例を揚げると水俣問題等のさまざまな社会問題から具体的な方法論を展開していた学風で、そのこと自体大きな驚きであった。日本の哲学界ではまさに異端児のような存在であったため、そのせいか東大のアカデミズムにガチガチにそまっている他の教授陣からは煙たがられる存在でもあったのは否定できない。「思想の科学」や岩波新書「歴史の進歩とは何か」等を発表して日本の思想界で活躍していた市井先生は、本来なら大学の看板教授になってもおかしくない方だった。しかし工学部の一般教養課程の教授という、およそその業績から見て冷遇ともいえる境遇に甘んじなければならなかったのは本当に不幸としかいいようがない。

話を元に戻すが、そうした喫煙教室は決して体によいものではなかった。正直いって市井先生はニコチン中毒といっていい状態でそれが晩年の健康を害した原因にもなったのだろうと今になって思う。晩年数学と哲学両方を巻き込んだ「カオスの理論」という画期的な論文に取り組んだが道半ばで健康を害し、研究は未完に終わったようである。1989年6月、先生は急性の心筋梗塞で亡くなった。今から15年前のことである。



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